産みの苦しみ

をどう説明しても理解出来ないミュージシャンがいてガックリした事がある。
彼は俺よりも年上で指も動くというのに。

過去にとあるセッションを観て。スタンダードの『サマータイム』を。
山も谷も呼吸も感じられず、ボーカルを置いてきぼりにして。
ボーカルの連れの観客が眉間にシワ。見てみぬフリのミュージシャン。
彼らはいったい何をどうしたいのだろう、と思った。
この日の事件、本当は色々挙げればキリがないのだが、割愛。

「楽しく適当に」が自由じゃない。
将棋をしたいのだが、相手にコマをぶつけられたんじゃこちらが手を引くしかない。
音楽畑以外のステージを志したのはそんな理由があったのかもしれない。

俺が思うセッションって、演じたり弾いてるヒトがひとりじゃないから尚更、
マナーもルールもあって、作品の風向きに何かしらの対策を即時とるのがセッションだ、と。

今日は“歌うカニ”の稽古。コード進行を駆使し、その場で作曲。
有り物を長い時間かけ稽古して、披露するのと真逆な事をしているから、それと同じような事を一瞬でやるしかない。
産みの苦しみがドッとのしかかり、例え良い伴奏をしても不快感みたいなものが時々襲う。
これは自分の性分的特徴も多々ありそうなのだが。

「楽しかったぁ〜♪」と帰り道で女性演者。必要以上に頭を重くする自分。
マナーもルールも自分から裏切っていやしないか?なんて。

今だ自分自身の即興演奏のビデオを一分も観ていないからだろうか。

だからこそ、ちょっとしたねぎらいの言葉に弱いのかもしれない。